「亡父の遺志を継ぐ、ご子息」   武藤 忠春

戦艦『大和』、それは世界の造艦史上最大の巨大戦艦であった。
そして又、『大和』は旧日本海軍の表徴的存在であり、最後は昭和二十年四月六日沖縄に上陸した米軍を迎撃すべく水上特別攻撃部隊の旗艦として僚艦九隻を率いて出撃した。翌日七日、制空権の無い中で米艦載機三八六機による波上攻撃を受け午後二時二三分九州坊ノ岬沖九十海里で乗員三千名の将兵とともに海底深く沈没した。生存者はわずか二七六名であった。日本海軍の壮絶な最後の華として散ったのである。

 此の『大和』に対して鎮魂と、真に日本海軍の軍艦らしい艦影に魅せられた人々が、日本だけで無く海外でも多数いる。其の中で誰よりも模型で再現すると云う分野で、常人では想像もつかない、或る意味では途方もない十分の一の大きさで再現することを考えた人間が、日本海軍艦艇模型保存会の代表故河井登喜夫氏であった。しかし天命は残念ながら幾つかの部品を製作したところで無常にも尽きてしまわれたのである。

 故河井登喜夫氏の告別式の半年後、ご子息の河井真一氏が、小生に会って相談したいと云う連絡をくれた。何事だろうと思ってお会いしたところ、「私は息子であるが、父の生前の艦艇模型の製作については余り関心は持って居なかったが、子供として今は、何んとしても親爺の遺志の十分の一の『大和』の模型を完遂させてやりたい。その為には私が出来ることは何んでもしますので、是非ご協力願いませんか」と云う話であった。その親を思うご立派な孝心に心をうたれ『大和』模型製作者の第一人者の坂上隆氏を中心として尾池廣之氏と小生で、十分の一の『大和』模型の製作に協力することになったのである。

 親孝行なご子息に恵まれた故河井登喜夫氏のご冥福を心から祈って 合掌  終



10分の1戦艦大和製作委員会