「老友いまだ消えず」  坂上


平成11年11月末近く、河井登喜夫様の訃報を聞いた時の驚きと共に、気にかかったことは、「戦艦大和」10分の1の今後の問題であった。
 直接はタッチしていなかったが、機関誌等で発表の部品写真等を仄見する度に「立派に出来ているな―」とか、「これは少し違うな―」とか思いつゝ拝見していただけに、その完成がどうなるのかと案じられたのであった。

河井様との出逢いは、昭和40年前後であった。大和150分の1が完成した頃、突然奥様と共に我が茅屋に見えられた。初めて逢った方とは思えず「百年の知己」に逢った様なものでした。
 特に大和に凝っておられるため、私の研究の上に河井様独自の資料探索は大変なもので、ジブクレーンを作り代えさせるものでした。
 昭和54年末に大和100分の1が完成しましたが、その後も河井様の研究、資料探索はあきることなく続き、私は今更作り直す訳にもゆかず、その後は進展を眺めていたのみで、会員の皆様にも「老兵は消えゆくのみ…」と後継を譲っておりましたが、図面を修正して確認は続けておりました。その際の訃報であっただけに成り行きが心配でした。

  平成12年10月30日、突然ご長男、河井眞一様よりの電話で「父のやっていた10分の1大和の継続をやりたいので力を貸して頂きたい。」とのご要望で「今更、私の様な老骨の出る幕でもありませんよ」辞退したのですが、たってのご依頼で、誰か2、3人の応援を受けてならばと決めつゝある時、直接のご来訪があり、眞一様が「せめて10分の1大和を継続完成させることが、父への孝養と思っております」との一言に感激し、「ご恩になったお父さんへ、万分の一でも、ご恩返しとなるのは、これしかない」と覚悟を決め引き受けた訳でした。

 しかし、よくよく考えると、自分の明日すら計り知れない年令を考え悩んだことでした。 幸い資料も少々入手出来、早速平成13年1月より作図に着手、尾池、武藤両先生のご指導を仰ぎつゝ進めておりますが、やはり分からぬ処は「坂上大和」になることは己むを得ないと割り切っております。  多くを言われぬかも知れませんが、奥様もさぞ喜んでおられることゝ存じます。今年は、はや故河井様の3回忌を迎えますが、一日も早い完成を願うこと切なると共に「御霊よ安らかなれ」と祈念するものです。
いま少し「老友は消えず」と励む積もりです。



10分の1戦艦大和製作委員会